技術的にできることと、社会的にやってよいことは違う
こんにちは、丸山満彦です。技術屋さんが新しい技術による利便性を説明して場にいると、時々「あれ~」と思うことがあります。
ある目的を達成するために使われる技術は時として副作用を生みます。それを無視してはいけませんね。
よく技術屋さんが、「この技術がこういう場面で利用されれば、こんないい事がありますよ」と宣伝?していますが、その多くが、「そんなことをしたら、こんなに困ることがあるだろう」ということを無視しています。
実務家よりも、学者にその傾向が強いようも思います。これは、私の直感で理論的な根拠はありません。
技術的にできることと、社会的にやってよいことは違います。
【参考】
■2005年 ITデジタル事情 2005.01.01
このブログの中の意見は私見であり、所属・関係する組織の意見ではないことをご了承ください。
Comments
丸山 様
こんにちは。
ご指摘のとおりですね。
技術者は技術者なりに問題点を考えていることも珍しくないと思います。
問題は,中途半端な学者で,しかも,世間常識も苦労体験もないボンボン学者だと思っています。
研究室の中ではどんなことを考え,どんなことを言ってもかまわないのですが,社会という文脈の中ではそういうわけにはいきませんね。
でも,文部科学省をはじめ,いろんなところで業績主義みたいなことが強く叫ばれており,実際に企業と癒着して製品開発に成功している学者はふんだんに資金を利用できるという現実がある昨今,誰でも焦って先走りしてしまうのでしょう。
客観的には非常に哀れな状態だと思います。学者の良心を捨ててしまっているわけですから。
ちなみに,米国では,そのようなやり方が結局うまくいかないという反省から業績主義や形式的な第三者評価システムを大幅に見直す雰囲気が強くなってきていますね。
Posted by: 夏井高人 | 2005.05.05 09:00
夏井先生、コメントありがとうございます。
専門家が倫理観や良心を失うと社会全体が不幸になりますね。
そういう常識が曲げられてしまう制度が学者の中にあるのであれば、その制度を作っている人の責任はもっと重いでしょう。
それは、多くの事故でも同じことですね。
Posted by: 丸山満彦 | 2005.05.05 11:58