情報と判断、情報と信頼
こんにちは、丸山満彦です。人が不安に感じるときに何が必要か。それは正しい情報ではないだろうか。人それぞれが、判断をするときに必要となるのが正しい情報だ。放射性物質の拡散が心配であるときに、政府が放射性物質の拡散を予測するSPEEDIの情報を公開していなかったことから、人々の政府に対する不信は増大したのではないかと思う。もちろん、政府側にいわせれば「そもそもこのデータが使えるものなのかどうかも含め、SPEEDIというシステム自体に関係者は疑問を持っていた」、「公開すればパニックなると懸念した」とのことだろうが、それでも今回の場合は一次データ等を含めて情報を開示したほうが良かったのだろうと思う。
少々のパニックはおこるが、正しい情報があればいずれパニックは収まる。しかし、政府にとって都合の悪い情報が隠されいると国民が思えば、政府に対する信頼がなくなり、正しい情報を出しても信頼されなくなる可能性がある。そうなると長期的な影響がでるだろう。
政府が情報を統制し、国民を一定の方向に導くというのは、以前からよく行われてきていたし、今でもさまざまな局面で行われているのだろう。政府が選んだ一部の有識者といわれる人々だけに情報を提供し、その人々だけに判断を任せるというのは今回の事案については無理があるのではないかと思う(過去の国会答弁や記者会見等を観た感想にすぎませんが。。。)。
今回の原子力関連の問題は、日本国民だけでなく周辺国の人々にとっても長く健康に影響を及ぼす可能性があることであるから、一次情報を含めて、情報をわかりやすく整理して国民等に提供する義務が政府にはあるのではないかと思う。
情報を正しく提供しなければ国民は政府を信頼しないし、信頼できない政府は何をいっても思う方向に国を導けない。
Comments
>情報をわかりやすく整理して国民等に提供する義務が政府にはある
まったくその通りです。国だけではないですけどね。
問題は、「自分で正しく理解する」努力をする国民がどれだけ増えるか、ということだと思います。
スポーツや各種トレーニングと同じように、まずは、簡単な事案から徐々に高度な事案になれるようにするのが一番いいのは明白なんでしょうが、では、リスク判断をどうやってトレーニングするのがいいかは解がないようにも感じます。
伝える側が「正しい情報」と思っても、人間は「自分の都合のよいように判断」する動物ですし、それが極端に振れ、他人を巻き込むと、どちら側に振れても不幸となりますね。
最悪なのは今回の原発のように、「テレビや雑誌に出ている著名人が言っていたから正しい」的な発想が蔓延し両極端な行動になることでしょう。ドイツ気象庁のデータなんかは、英語で説明書いてあるのに、それも読まずにとんでもない解釈をする人達(含む専門家)のコメントがtwitter で広まった、ということでしたし。
日本に限らず、どこの国も似たりよったりのような気がします。
少なくとも、原発に関しては、「今すぐの撤廃」は不可能ですから、危機対応に関し色々な経験済ユースケースを日本だけでなく世界中で共有して、人類の知恵袋みたいなものを作るのが理想だと思います。
Posted by: shita | 2011.05.04 09:38
shitaさん、コメントありがとうございます。多くの人間というのは、すでに入手している情報をもとにすでに結論をだしているのだろうと思います。人を説得しようとするときに、自分に都合のよい情報を集めてきてそれをもとに自説の正しさを証明しようとすることが多いように思います。
必要なことは正しい情報を結論とは関係なく一同に集めることだと思います。その情報をベースにして議論を広げていくという当たり前のプロセスをたどる必要があるのではないかと思います。。。その情報の解釈はその後。。。
Posted by: 丸山満彦 | 2011.05.04 10:09
>その情報をベースにして議論を広げていくという当たり前のプロセスをたどる必要
そう思います。議論の広げ方が難しいですね。専門家だけではいけない気がします。が、「先生達の言われていること、むっずっかしくて、オレらにはわかんねーや。どっちか決めてくれ!」って言われる人達も多くおり・・・・そういう人達を前提に、国は今迄情報をコントロールしてきたのではないか、という気がします。
Posted by: shita | 2011.05.04 10:26
shitaさん、コメントありがとうございます。専門的な情報と専門性の高い判断が必要とされる領域は広いと思われ、今回のような問題についてはそのすべてについて専門家である人はいないと思います。そこをどのようにまとめ上げていくのかというのは課題ですね。。。(議論ができる場をつくるということしか頭には浮かんでいませんが。。。)
次に、考えたくない人というのも一定数存在するでしょうが、それは議論が高まってくる中で、自分の問題として認識してもらえるように少しずつ巻き込んでいくしかないと思います(それでも一定数の人は考えたくない人のままでしょうが。。。)。
私の動物的な直観が、今回の原子力発電所に関する事案については、なし崩しにしては人類にとってよくないと言っているんですよね(笑)。。。
なので、普段は情報提供が中心のまるちゃんブログでちょっと意見じみたことも言い出してみたわけなんです。。。
Posted by: 丸山満彦 | 2011.05.04 10:38
確かに珍しく、意見ブログだ・・・笑
正しい情報とか、一次情報ということもあるけど、今回の政府対応の問題の一因は首尾一貫性の欠如もあると思う。
SPEEDI のことで言えば、最初公表しないと決めたのなら、最後まで公表しなければ首尾一貫する。どの情報をどれだけ出すかを最初に決めるときに、最終的に国民が知り得る情報であれば、最初から公表しなければ首尾一貫しないことになる。
SPEEDI について言えば、存在秘ではないわけだから、政府としてSPEEDIの情報を知ったのであれば、知ったことを公表すべきだったということだろう。政府としても知らなかったことは、知り得なかったことについての問題は別として、公表をできなくても首尾一貫性を損なうことにはならない。
提供する情報の選別は、インシデント・マネジメントの際に結構重要な作業のひとつだが、それは実務のノウハウとなるため、机上で研究している人達からのインシデント・マネジメント説明には出てこない。机上検討家(笑)のネタは原因分析や再発防止策の手順だが、正直いって実務上は、それらはケース・バイ・ケースなので優秀な人員確保できれば柔軟に対応でき、マインドフルな人員確保ができなければ手順がいくらあっても想定外のことに対応できない。
外部コミュニケーションのインターフェースが、インシデント・マネジメントでの組織の信頼確保に大きく影響し、コンテンツは意外と影響しない。これまでの世間の事例でも、再発防止策に具体性がなくても、信頼を確保できているケースを見るとそのことがわかる。
「パニックになると思ったから情報提供しなかった」は正当な理由のように見えるが、そこに首尾一貫性を適用すれば、「今後の情報もパニックになりそうなら隠蔽する」と言っているのに等しい。
今回の信頼崩壊は、「他にも隠していることがあるのではないか」という疑心暗鬼に国民をさせたことにつきるのではないかという気がしている。
Posted by: 佐藤慶浩 | 2011.05.04 12:23
佐藤慶浩さん、コメントありがとうございます。首尾一貫の観点、なるほどです。。。
もし首尾一貫性があれば、
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「パニックになると思ったから情報提供しなかった」は正当な理由のように見えるが、そこに首尾一貫性を適用すれば、「今後の情報もパニックになりそうなら隠蔽する」と言っているのに等しい。
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となりますね。。。
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外部コミュニケーションのインターフェースが、インシデント・マネジメントでの組織の信頼確保に大きく影響し、コンテンツは意外と影響しない。これまでの世間の事例でも、再発防止策に具体性がなくても、信頼を確保できているケースを見るとそのことがわかる。
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という点について納得です。コンテンツではなく「だまされた」ということでしょうかね。。。
政治家一般+政府の信頼が失われている(と私は思っていますが。。。)なかで、国の将来を決めるような重要な決断を政治家+政府に任せることはできないのではないかと、漠然と思っています。
政治家一般+政府の信頼が復活するか、直接的な民意がより反映できる場を作る必要があるのではないかと考えています。。。
Posted by: 丸山満彦 | 2011.05.05 07:50
キャパシティは生まれたときに遺伝子によって決定されてしまっており,どんな工夫や努力をしても解決できないので,どうにもならないのではないでしょうか?
Posted by: 夏井高人 | 2011.05.08 13:40
夏井先生、コメントありがとうございます。
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キャパシティは生まれたときに遺伝子によって決定されてしまっており,どんな工夫や努力をしても解決できないので,どうにもならないのではないでしょうか?
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あっ、いっちゃった(笑)。
遺伝的に決まっているようなことは努力とかでカバーできる範囲は少ないと思っています。。。
Posted by: 丸山満彦 | 2011.05.14 08:33