個人
こんにちは、丸山満彦です。
何が本人ということなのか???
・指紋を取り替えられても、その前と後で同一人物といえるか?
・腕を取り替えられても、その前と後で同一人物といえるか?
どうも腕を取り替えられた程度では、その前と後で同一人物といえるように思える。
では、次の場合はどうだろう。
・Aさんは事故にあい、脳以外のほとんどの部分は移植または人工物により取り替えられてしまい外見上は以前のAさんかどうかはわからない。
・Aさんは脳死になったが、その体は問題がなかったので、Bさんの脳をAさんの体に移植したらうまくいった。
本人かどうかを決めるのは、脳?
では、
Aさんは記憶喪失により過去の記憶をすべて失ってしまった。記憶を失った後のAさんはやはりAさんと考えたほうがよいのか?
Aさんは、脳に障害をうけ、言葉や動き等の手段をつかって意思を外部に一切伝達することができない。
Comments
丸山 様
夏井です。
「人の死」に関する現在の基準がぜんぜん崩壊していることは既にご理解いただいていると思います。
心臓や肺を除去しても人工的な酸素供給と血流の確保によって「生きる」ことは可能ですから,心肺停止どころか心肺欠如でも「人の死」ではありません。
脳幹部の機能停止はどうでしょうか?
おそらく,数年後には完全に機能停止した脳を冷蔵保存し,あとで蘇生させることのできる医学技術が開発され現場で応用されるようになるでしょう。つまり,脳機能の停止は「人の死」ではありません。
さて,「なぞなぞ」の問題ですが,有料会員サービスとして提供した「なぞなぞ」は,もっとこみ入った問題を提起しています。
例えば,旧脳の部分はAさんのものが温存され,新脳の右半分にはBさんのものが,左半分にはCさんのものが移殖されたとします。そして,脳以外の組織はすべてメタルやプラスチックなどの人工物で置き換えられたと仮定します。
これによってセラミックスの頭蓋骨の中には3種類の異なるDNAをもった組織が存在することになります。DNAだけでは決め手になりません。「人間らしさ」を司る新脳の部分はBさんとCさんのものであり,ヒトである機能を司る部分はAさんのものだからです。
この場合,この脳組織の複合体はAさん,Bさん,Cさんいずれだと言えるのでしょうか?
「なぞなぞ」では,更に深い問題を提起してみました。つまり,脳移殖が成功すれば,自分の中に誰か他人が入ってきたというよりも融合・混在する状態になるので,物理的な区別とは無関係に,主観的な実存としては,新たなXさんになってしまう可能性があるわけです。
更には,脳を半分ずつ誰かに分けたとします。例えば,Cさんの片方の脳はAさんの脳幹に結合されたけれども,もう片方はDさんの脳幹に結合されたとします。手術の結果,Cさん由来の組織だけが生き残ったとします。この場合,Cさんは2人に増えたといえるのでしょうか?
そして,脳細胞の一部からクローン脳組織の培養が可能となった場合,問題は更に複雑怪奇なものとなってしまします。
要するに,これまでの法学は,このような高度な医療技術など成立するはずがないという前提で,物体としての「ヒト」と主観的な実存としての「人」とが「分離または拡散することはない」ということを当然の前提にしていました。その当然の前提が崩壊しつつあるので,現在の法学理論のほぼ全部が壊滅すると断言します。個人識別に関する部分である限り,情報セキュリティ理論も根幹部分で崩壊すると断言します。何しろ識別が可能でなければ機密性の本質であるアクセス権限の分配もできない道理になるからです(この点と関連して,管理者だけは特権階級という論理構造がすべての間違いの根幹であることを示すショートショートもどきとその解題を次のニューズレターで提供する予定です。)。
同様のことは,情報セキュリティの場面での個人識別でも同じです。
実は,現時点では,既に属性値だけで同一性識別をしており,「個人」のコアの部分については何も定義しないで「空(empty)」のままで済ませています。問題を直視していないわけですね。データベースの専門家は,「レコードのID番号がコアの部分だ」と言うかもしれません。しかし,ID番号も実は属性値の一つにしか過ぎません。
このように,「個人」を定義することは極めて困難なことです。
そうなると,「個人情報」の定義である「個人を識別するための情報」もまた本当は定義できていないという結論になってしまうわけです。
所与またはアプリオリであると考えたところに本質的な原因があります。実は,所与でもアプリオリでもありません。
というわけで,ニューズレターの読者が増えることを期待しているのですが,ぜんぜん増えませんね。(笑
Posted by: 夏井高人 | 2010.12.06 14:58
丸山様、宇野です。
この話はその昔読んだ本で、多湖輝著の頭の体操シリーズの中にあったように記憶しています。
「A氏の脳をB氏の体に移植したら誰が誰のものになるか?」と言うような趣旨の問題だったかと思うのですが、「B氏の肉体がA氏のものになる。」と言うような解答だったかと思います。
この問題では肉体と人格を一体化して捉えて考える事に無理があります。現状では両者が一体化しているのため、どのように解答すべきなのかというところからして悩ましい話になってしまいます。
しかしながら夏井先生も指摘しているとおり、医療技術の目覚しい進歩により「今日のSFは明日の現実」があり得るわけで、「人格が肉体を支配する」という観点から考えるべきでしょう。
ちなみに「銃夢」というコミック作品では、肉体から本人に知らされないまま脳が取り出されて「脳チップ」という人格の全てを代行するLSIにコピーされ、その上で元の肉体に換装されるエピソードが出て来ます。
そこではその「脳チップ」がいくつか複製され、それら複製された「脳チップ」どうしが独立した別人格となっている様子が描かれています。
これは法的な罪と罰の話にもつながります。
処罰はあくまでも肉体に対するものですから、仮に死刑判決を受けても刑を執行されるのは肉体なので、事前に脳(あるいはその機能を代行する脳チップ)を別人の肉体に移植されていたら、死刑執行が持つ意味が崩壊してしまいます。
そもそも刑務所は「肉体」が刑に服す場所なので「肉体」とは全く別に「人格」が存在するとなると「刑罰」はどのようにあるべきかという根本的な話になり、収拾がつかなくなってしまいます。
Posted by: 宇野 泰弘 | 2010.12.08 23:25
宇野 様
『頭の体操』は,子供のころ,数ページめくってみたことがあるだけでほとんど読んだとは言えない状態だったので,その中に似たような設題があることを知りませんでした。今度古本屋で探して読んでみます。教えていただき,ありがとうございます。
ところで,現在の普通の法理論によれば,ある人(A)が完全に記憶喪失になった後,他の人の記憶を強制的に注入・洗脳されて元のAとは全く異なる人格になり,自意識としても「自分は非Aである」と信じ込むようになったとしても,その人をAとして扱うという結論になる点で異論は全くないと思います。
すると,脳だけ移殖した場合,普通の法理論では,その人の(自意識という意味での)人格は非Aだけれども,法律上の人としてはAのままだという結論もあり得ることになります。つまり,何らかの人格をもっていれば足り,人格に完全な変容をきたしても,「個人」の同一性に影響を与えることはないという考え方を前提に,法理論が構築されており,そうであるがゆえに,後天的に精神病になったり意識喪失になったりしても,個人の同一性を否定しないという法秩序が維持されていると理解すべきなわけです。
逆に,脳移殖によって人格上Aではなくなるという見解をとった場合,Aは脳移殖によって死亡したことになります。すると,その手術をした医師は殺人行為をしたことになるのですが,元Aの肉体は生存し続けていることから,外形上はAが死亡していないことになります。
このように,医学が発達すると,これまでの法理論では全く歯がたたない状況になります。宇野様の表現だと「収集がつかない」というわけです。
これは,正確には,これまでの法理論が基本的に間違っていたということなのでしょう。
それ以上に問題なのは,法理論が間違っているということを認識・理解できたとしても,「間違っていた」ということを認める法学者がおそらくほとんどいないだろうということであり,まして,法制度が根本的に変更される可能性は皆無だということです。
かくして,世界は混沌へと突き進みます。
ちなみに,現実に脳移殖が可能になるずっと前の時点で,現在の情報工学における同一性識別理論が破綻をきたすことになるでしょう。
誰も識別できていないことになるからです。
その結果,応用学である情報セキュリティの理論はほぼ全面的に壊滅状態になり(特に,機密性との関係で,アクセス権限を「誰に」与えるかを決定することができなくなる。),まして,監査業務の遂行は不可能になります。極論すれば,人間社会を維持することが不可能になると言い換えても過言ではないでしょう。
現実にそうなってしまうかどうかは別として,大事なことは,本質的なところで定義不可能な事柄を「アプリオリであるがゆえに定義する必要なし」として扱ってしまっていることによって,結局,解決策を見つけることができないという当たり前のことに気づくことだろうと思います。
どうにもこうにも厄介な時代になってしまったものだと思います。SFだと言って気楽に読み飛ばすことができないのですから。
とまあこのように憂慮しているわけですが,そういうこととは全く無関係に,数年以内に脳移殖手術は成功してしまうことが間違いないだろうと思われます。
ナノテクノロジーで構築される機械装置が人工臓器として身体の大部分を占めてしまう場合や,他人の汎用細胞から培養された組織を無数に埋め込むことが普通になってしまうようになるという事態が生ずると,やはり,「個人」の同一性及びその数について(現在の法理論では解決できない)非常に困った問題が生ずることになります。
そして,『頭の体操』に書いてあるという答え(肉体はA氏でも人格がA氏でなければA氏ではない)が唯一の答えではあり得ないということは上記のとおりです。
今後,医療技術と法制度との間に決して埋めることのできない溝のようなものが構築されてしまうことになるのでしょうね。
Posted by: 夏井高人 | 2010.12.09 00:02
夏井先生、宇野様
丸山です。
コメントありがとうございます。面白い議論になってきました。
情報セキュリティの世界に引き戻した場合、ひとつまたは少数のデジタル情報だけで本人を識別特定していき成り立つIT世界は、現実世界よりも早く崩れてしまうのではないかという危惧があります。
そういう場合に、50年先まで見越してどのようにIT世界を考えたらよいのでしょうか???
Posted by: 丸山満彦 | 2010.12.09 16:27
丸山 様
夏井です。
50年後まで人類が生存しているかどうか怪しいですけど,それはさておき,解を得ました。
公開の場では書けません。
影響が大きすぎる。
Posted by: 夏井高人 | 2010.12.09 18:44
夏井先生、コメントありがとうございます。
技術と倫理はバランスをとりながら進歩すべきなのでしょうね。。。
> 解を得ました。
「土地を耕せ」、と私の中の心の声が叫んでおります(笑)。
Posted by: 丸山満彦 | 2010.12.10 08:07
丸山 様
夏井です。
「耕作料」安くないです。(笑)
Posted by: 夏井高人 | 2010.12.10 08:35