クラウドの議論はクラウド
こんにちは、丸山満彦です。クラウドについての議論はクラウドになりがちです。論点がぼやける。。。そもそもクラウドという言葉がさしている対象が抽象的ですよね。。。パブリッククラウド、プライベートクラウドという分類や、SaaS、PaaS、IaaSといった分類(他にも分類方法はあるのですが。。。)をしていくことが一つの解決策ではあるのでしょうが、細かく分類したらクラウド全体を言えないので、全体を議論したいという願望がでてきて振り出しに戻ってしまいます。。。
また、議論もユーザー側の問題なのか、サービス提供者側の問題なのか混沌としてきます(たとえば契約の問題であれば両社ともにかかわるのでこのような話になるのは当然なんですよね。。。)
そして、議論を重ねていくと、そもそもクラウド特有の問題ではなく、外部委託の問題ではないか、個人情報保護法の安全管理措置の問題ではないか。。。といった話になりがちです。
特に法律の適用に関して言えば、やはり個別具体的にしなければならないと思われ、抽象論でクラウドの法律問題とすると空中分解してしまう感じですよね。。。
クラウドについての議論をする場合は、まずクラウドについての用語の意味するところを明確にし、議論したいこごと十分に発散しないような粒度までクラウドを分解して議論しなければならないでしょうね。。。
議論の中心に据える主題によってその粒度は異なってくることが想定されますので、網羅的な議論をする場合は、粒度が細かくなりすぎる可能性もありますね。。。
クラウドの議論の仕方自体の整理をきっちりしないとクラウドの議論はクラウドになってしまいますね。。。
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Comments
ウィキペディア(Wikipedia)の「クラウドコンピューティング」の記事が、色々な意味で現状を良く説明していて分かり易いです。特に、当記事の「類似用語」の項目の冒頭に記載されている、「・・・は、新しい言葉で言い換えただけ」とか「・・・は、宣伝文句が変わっただけ」などのサンマイクロシステムズやオラクルのCEOの発言の引用は、この言葉が流行し始めた当初から同じような批判があったのかと、非常に面白いです。
まあ、従来からある問題が、新しい言葉とともに、より深く見直しが行われること自体には価値があるとは思いますが、空騒ぎかなと思えたりもします。
Posted by: めもめも | 2010.01.28 11:48
めもめもさん、コメントありがとうございます。
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従来からある問題が、新しい言葉とともに、より深く見直しが行われること自体には価値があるとは思いますが、空騒ぎかなと思えたりもします。
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一部新たな論点はありますが、同感どす。。。
Posted by: 丸山満彦 | 2010.01.28 23:47
丸山 様
夏井です。
クラウドに限らず,どんなことについても,議論というものはどの「利益」を保護するかについて共通の土台を構築してから始めないと絶対に収束しません。また,議論は,論理そのものというよりは,特定の利益を保護するためのレトリックの総体に過ぎない場合があります。
クラウドの場合,サービスプロバイダの商業的利益を最優先するのか,それとも,利用者の利益を最優先するのかによって全く異なる議論が成立することになるでしょう。どちらもたてようとすると,いつまでたっても議論が収束しません。また,クラウドと関連する国際標準(←技術標準だけではなく,プライバシー保護,情報セキュリティ,システム監査等等に関する国際標準を含む。)が無謬であるという前提で議論を開始すると,これまた議論が収束しません。これらの国際標準の中には相互に矛盾するものがあるだけではなく,特定の国際標準単独でも解決不可能な自己矛盾を抱えているものがあるからです。法律にしても同じで,(憲法違反の場合を含め)無効な法律は存在しますし,また,複数の異なる法律の適用順序についての法的理解が異なれば,全然別の議論が成立してしまいます。
クラウドの法律問題について限定すると,いろんな雑誌記事や論文などに書かれていることの中には,非法律家による誤った理解に基づいて書かれたと推定されるものがあり,そのような文献をもとにして法的議論を始めると,当然,議論それ自体が間違ったものとなってしまいます。法律家が書いた論文であっても,技術に関する正確な理解に基づいていないものでは,前提が間違っているのですから法解釈論も間違ってしまうことになります。更に,社会という環境の中で特定の法理論がどのように機能するのかという点についての認識が甘い場合にも同じようなことが起きます(←最近では,某著名法学者が,外国人参政権に関して,自分の理論が社会の中でどのように機能してしまうかという点についてのそれまでの自分の認識の誤りを認め,自説を変更して外国人参政権に反対の立場に転向した例があります。)。理系でも文系でも,理論は理論に過ぎないし,研究室の中では何をやっても構わないのですが,「学問の自由」はそこまでが限界であり,現実の社会という文脈の中では,また別の検討を要することがしばしばあります。にもかかわらず,社会という文脈を無視して,特定の理論を前提に議論を進めると,その議論は収束することがあるかもしれないけれど,間違った結論しか導き出されないという致命的な問題があるんですね。
というわけで,クラウドについて議論する場合にも,何を基準にして議論をしているのかを明確にすることが大事だと思います。その点が異なっているのであれば,議論が成立しないことが最初からわかっていることになるので,議論しないほうがベターでしょう。それを無理強いすることは,議論という体裁をとった説得行為(←ゴリ押しの場合を含む。)の一種に過ぎないのだと思っています。
さて,私の場合はどうかというと,対象を「パブリッククラウド」に限定し,かつ,「情報セキュリティに関する基本原則が正しい」という前提で検討(論理)を進めています。もし,これらの前提が異なる場合,または,前提それ自体が間違いである場合には,私の検討(論理)とは関係のない議論をしていることになりますし,当然,異なった結論が得られることになります。
このように,ある「論理」の背後にある「メタ論理」の存在という論理そのものの「構造」を正確に理解することが大事だと思いますし,また,「論理」という形式・体裁をとった「手法」が特定の利益主張を押し付けるための「レトリック」に過ぎない場合があるということを冷静に認識することも大事だろうと思います。
Posted by: 夏井高人 | 2010.01.30 07:25