大震災から14年
こんにちは、丸山満彦です。今朝の5時46分は東京のとある駅のホームの上にいました。本日は神戸によってこようと思っています。
【新聞】
■日経新聞
・2009.01.17 阪神大震災から14年 各地で追悼行事、鎮魂の祈りささげる
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6434人が亡くなった阪神大震災の被災地は17日、発生から14年を迎えた。各地で追悼行事があり、人々は鎮魂の祈りをささげた。国内外で大規模地震が相次ぎ、将来の東海、東南海、南海地震などへの懸念も強まっている。災害に備えるため教訓と記憶をどう継承し、どのような復興を歩むのか。被災地が発信するメッセージは重みを増している。
発生時刻の午前5時46分。犠牲者の名前を刻む「慰霊と復興のモニュメント」がある神戸市中央区の東遊園地では「1・17のつどい」が営まれた。ろうそくをともした竹灯籠(とうろう)を並べ、「1・17」の文字を浮かび上がらせた。・・・
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■朝日新聞
・2009.01.17 県内各地で訓練、阪神大震災14年
・2009.01.17 自主防災の組織率、7割超える 阪神大震災以降広がる
・2009.01.17 阪神大震災14年 1.17追悼の朝
・2009.01.17 阪神大震災14年 進む復興、残る課題も
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・・・被災した兵庫県内12市の人口は震災前と比べて1.9%増加し、約367万人に。神戸市ではおよそ3人に1人が震災後に生まれたり、転入したりした「新市民」だ。5市18地区で進められた復興土地区画整理事業は、神戸市長田区の新長田駅北地区が残るのみとなった。
被災地の地域内総生産は震災前の94年を100とした数値で105.9に上昇したが、淡路島3市では87.9にとどまる。県営・市営の復興住宅の高齢化率は47.8%に達し、全体の約4割は高齢者のひとり暮らしだ。
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■読売新聞
・2009.01.17 阪神大震災から14年、災害に強い社会の構築に誓い
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・・・被災地は今も復興の途上にあり、時間の経過による記憶の風化も懸念されている。人々は静かに手を合わせ、あの日を語り継ぎ、災害に強い社会を築き上げることを誓った。・・・
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■毎日新聞
・2009.01.17 阪神大震災:被災14年 7千本の灯ろうに「希望の灯り」
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阪神大震災の被災地は17日、発生から14年の朝を迎えた。あの日の傷跡を街に見つけるのは難しい。平成生まれが新成人となり、震災を知らない世代も増えた。その一方で、震災で後遺症を負った「震災障害者」の多くは十分な支援を受けられず、暮らしの不安を訴えている。隣国に目を転じると、昨年5月の四川大地震の被災地では、いまだに多くの被災者が仮設住宅で暮らす。本当の「復興」とは何か。国境や世代を超え、教訓をどう伝えるのか。震災は多くのことを問いかけ続けている。【震災取材班】・・・
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【過去のブログ】
・2008.01.17 大震災から13年
・2007.01.17 大震災から12年
・2006.01.17 大震災から11年
・2005.01.17 大震災から10年
Comments
もう14年・・・早いですね。私は家が全壊しました。ぺっちゃんこじゃなかったので、小物は出せましたが。。。
当日、新商品の帳票原稿締め切り日。「これ以上延ばせない」と言われた期限だったので、家は潰れても何が起こったかよくわからないまま、始業時間前から必死に公衆電話で会社に電話しました。
が、誰も出ない・・・。なんでー???と思ってました。
夜にたまたま潰れかけた家にコソッと戻った時電話が鳴り、「おお!生きてたか!」と上司の声。当事は携帯電話を持っている人はほとんどいなかったですからねー。
1週間休みましたが、なぜか新商品発売日に帳票は間に合いました。そんなもんかと…。(苦笑)
色々あり、人生の流れが変わった気もしますが、ケガもなく生きていられたからこそ「いい経験」と言えるんでしょうね。
Posted by: HarUki | 2009.01.18 02:22
中堅企業の内部統制担当のtonchanです。
そうですか?早いものですね。
当時、私は三宮駅前のビルでメーカーのシステム部門に勤務していました。なんと、資金会計システムと購買システムの担当をしておりました。
今、その時の対応を思い出すと震災対応の基本は人集めにあること常識と実態は異なることがよくわかります。例えばシステムで言うと「システムのバックアップを取得しておく。」という全般統制がありますが、本当はテープからのリストアよりはハードディスク自体から戻した方が早くて確実とその時に知りました。当時はその為の条件として同一のハードディスクが有る事というのがありました。今はどうなんでしょうね。私自身がすっかりシステムから離れて内部監査をしているので全く分からない状態です。
とにかくあの震災で会社が弱体化した結果、私は会社を辞めることになり、この仕事をしております。その意味でも非常に大きな出来事でした。
少し感傷的になりコメントさせていただきました。
当社は5月決算のため「内部統制報告書」まで少し余裕がありますが、3月決算の会社は大変だと思います。私もここで頑張って期末はもう少し楽ができるように頑張ります。
Posted by: tonchan | 2009.01.28 15:59