学校の先生は教育できるだけの知識があるのだろうか?@白浜
こんにちは、丸山満彦です。白浜シンポジウムに来ています。「教育現場から」@和歌山大学教育学部の豊田先生の話をきいています。
未成年者に携帯電話を持たせるのか、学校の裏サイトなどが話題となっていますが、生徒・学生の携帯電話の利用実態やmixiやブログの利用実態等の話がありました。。。先生の利用経験についてのアンケートの話もありました。。。
学校の先生の多くは、知識が不足しているので、適切な指導や授業ができないように思いました。。。
家庭教育は現実としてはあてにできないと発言されていますね。。。
考えさせる授業を提案しています。荒らしにあっているホームページ等を教材にしてみんなでどうすればよいのかを考えさせるという感じですね。。。
小学生低学年段階から指導する(刷り込み)が効果的であるとということのようです。
なるほどですね。。。
Face to faceでの人間関係や社会構造と文字情報+匿名性が高い状況下での人間関係や社会構造の違いをも整理して議論が必要が必要かもしれませんね。。。
マインド、知識、体制なども今までどおりでは機能しにくい分野もあるでしょうしね。。。
Comments
こんにちは。いつも参考にさせて頂いておりますが、今回のエントリーについては少し言葉足らずではないかと。
知識の有無が問題なのではなく、何でも学校に任せようという発想がおかしいのですよ。
現場の先生たちは宅間事件が起これば「さすまた」研修にかり出され、2chに犯行予告があるたびに短縮日程だパトロールだ連絡網だと右往左往しており、家庭教育以上にあてにできない状態ですよ。「教育課程に情報リテラシーを組み込め」とか「民間から専門家を招いて講習をしては」とか言ったところで、学校教育のスパゲッティコードが増えるだけの話です。
サイバー犯罪を抑止するためには法制度の整備と警察の取締り強化こそが必要で、学校や家庭での教育は補助的な予防活動でしかないでしょう。個人的には、通信の自由の定義からやり直さないとダメだと思いますけどね、マスメディアに対する扱いも含めて。
まずは、このBLOGを読んでいる人たちのような、ITやセキュリティでメシを食っている人間が主体となって何ができるのかを考え、発信し、国や自治体、企業を動かして行くしかないと思いますがいかがでしょうか。
Posted by: tegu | 2008.06.06 14:06
teguさん、コメントありがとうございます。
> 知識の有無が問題なのではなく、何でも学校に任せようという発想がおかしいのですよ。
先生の知識の有無だけが問題のすべてではないですよね。
> サイバー犯罪を抑止するためには法制度の整備と警察の取締り強化こそが必要で、学校や家庭での教育は補助的な予防活動でしかないでしょう。
これも本当にそうなのか?という問題があると思うんですよね。
法制度の整備もいらないわけではない。でも主役か?主役としても、どの程度?
学校や家庭の教育は補助的としてもどの程度すればよいの?
いろいろと検討すべきことはあるように思うんですね。
詳細は夜のセッションのお楽しみです。。。
現象の変化が激しく、社会常識が固まる前に現象が変化するので、なかなか社会的なコンセンサスを得るのが難しいのではないかと思っていますが、さまざまな人がさまざまな角度から検討し、意見をぶつかり合わせることが重要なんだろうと思っています。。。
ということで、やっぱり夜のセッションのお楽しみです(笑)
Posted by: 丸山満彦 | 2008.06.06 14:26
お返事ありがとうございます。
「現象の変化が激しく、社会常識が固まる前に現象が変化する」というのはまさにそのとおりで、しかもそのスピードがどんどん加速していますよね。基本的に犯罪対策はイタチごっことなる宿命にありますが、内部統制と同じく、明らかに真っ黒な行為が何かを定義したうえで、費用対効果を見ながら合理的な範囲でできる部分から潰して行く。地道にやるしかないですなあ。
Posted by: tegu | 2008.06.06 17:47
白浜に行かないで、品川の小学校出「もの作り教室」をやってきました。
そんなわけで、昨年度は80回ぐらい学校に行っています。
複数回通った学校、つまり半年とか1年の授業が合計で60回、残りはほとんどが1回ですから学校の数としては約20校に行きました。
小学校が10校ぐらい、中学が1校、残りは高校です。
何度か、ネットワーク問題に触れたこともありますが(ネットワークそのものをテーマにしたことは無いです)
それでも学校に聞いてみると、ネット安全教育を極めてテクニカルな面だけに限定して熱心にやっている、といった感じです。
この種の話をする講師は、携帯電話会社など。
まぁ、インフルエンザの特効薬を見つければノーベル賞だそうですが、今のネット安全教育はインフルエンザに効く薬を次々に開発しているようなものではないかと思います。
つまり、一時的に利いてもスクに相手が変質してしまう。
インフルエンザであれば、どんな場合にも利くのは体力の維持とか感染の機会を少なくするために、人混みに出かけないといった手法があります。
全然特効薬じゃないけど、うまくやればインフルエンザに掛からない。
別にインフルエンザ以外の病気にも有効な手ですよね。
こういう「相手が変わっても有効な手立て」をネット安全教育に持ちこむことを積極的に考えるべきでしょう。
中学生に「なぜ、イジメの温床のプロフなどを取り締まれないのか」と質問されました。
それにはストレートに「そこを取り締まっても別でやるだろう。取り締まっても無くならないモノの一つだ」と答えました。
高校生にもわざわざ「世の中には理不尽なことがある」という経験をさせることが必要なくらいで、いわゆる社会人の生活圏である社会と、学生の社会はあまりに違いすぎます。
>家庭教育は現実としてはあてにできないと発言されていますね。。。
これは狭い意味の家庭教育ではなくて、社会教育に近いか社会教育そのものでしょう。
社会教育という見方をすると、この2~30年でほぼ皆無になってしまったでしょう。
子供がお使いに行く店がありません。
駅で切符を買うのは自動券売機、マニュアル通りにしか対応しないコンビニ。
子供が、親と先生以外の大人と話す機会そのものがないのです。
わたしが接した範囲では、小学生も高校生も昔に比べて全くの別人種になったなんてことはないですよ。
ただし「近頃の子供」を演じているとは言えます。
子どもたち同士の社会でのお約束で、子供を演じていると言ったところがありますね。
小学生は1時間で「昔の悪ガキと同じ」になりますし、高校生は1~3ヶ月で年相応の生意気な若者になります。
しかし、日ごろは子どもたちの環境に応じて「演じている」といった感じです。
ネットの防御・攻撃は、極めて生身というか原初的な人間の攻撃性の問題だと考えて良いでしょうから、早い話が小学校低学年で喧嘩したといった経験が活かせるはずなんですよね。
だから教えるというか、社会生活に落着させるために必要なのは「先を考えること」なのでしょう。
個々の事件への対処とは別に、子供ではなくて人としてどうなるのか、といったことを教えることも平行してやるべきだと思っています。
Posted by: 酔うぞ | 2008.06.07 01:40
私の子供の頃の学校は、地域のコミュニティとして機能し、いろいろな行事なども地域と一緒にしていましたが、いまは地域から隔離されることを望んでいるかのような行動が多いです(育った田舎と、いま住んでいる都会との違いもあるけど)。
でも物理的な関係を途絶できたとしても、バーチャルなコミュニティの発生は防ぎようがないというのが、ネット社会の現実なのでしょう。
子供のプロフなど問題になっていますが、先生たちも「話題の主」になっていることに気がつけば、もっと真剣になるのでは。
近所の居酒屋の前に、知っている教師のバイクがとめてあったという話など、うちのこはよくしていますよ。
ネットを悪者扱いするのではなく、よい方向に活用することを考えるのが、いまの社会では必要な教育のはずですね。
Posted by: 閑人 | 2008.06.07 16:07
teguさん、コメントありがとうございます。。。車社会が形成されていく過程でも同じように様々な試行錯誤があったのだろうと思います。ちょっと気になっているのは日本国内だけの目線で考えないほうがよいということですかね。。。
酔うぞさん、閑人さん、コメントありがとうございます。
酔うぞさんを探したのにいなかったし。。。
三輪さんとも話していたのですが、ネットイジメの話だって裏サイトがけしからんというのは、ほんの一つの現象を捉えているだけで、そこをなんとかしたら解決するというものではなく、そもそもイジメをなくすためには何をすべきなの?というところをもっと議論するほうがよっぽど有益なわけなんですよね。
技術だって、教育だってそれだけで解決しようとしても無理なわけですから、そのバランスをどうするのかという社会的合意をどのようにとっていくか・・・という議論がもっと必要なんだろうと思います。
技術の変化だけでなく、社会の変化もあるわけだしね。。。
ナイトセッションでは、「青少年」に対する働きかけ、「コンテンツ及びそれにアクセスする経路」に対する働きかけ、をプレイヤー別に整理しなければならない。そして、そのときには社会に対する正と負の影響をあわせて検討しなければならないということを提案してみたんですけどね。。。
しかし、豊田先生の子供のころに刷り込ませるという考え方は重要だと思ったわけなんですよね。。。
Posted by: 丸山満彦 | 2008.06.08 01:40
>酔うぞさんを探したのにいなかったし。。。
すみません、あっちこっちに不義理になってしまった。
ところで、
技術だって、教育だってそれだけで解決しようとしても
無理なわけですから、そのバランスをどうするのかという
社会的合意をどのようにとっていくか・・・
という議論がもっと必要なんだろうと思います。
技術の変化だけでなく、社会の変化もあるわけだしね。。。
ナイトセッションでは、「青少年」に対する働きかけ、
「コンテンツ及びそれにアクセスする経路」に対する働きかけ、
をプレイヤー別に整理しなければならない。
そして、そのときには社会に対する正と負の影響を
あわせて検討しなければならないということを提案
してみたんですけどね。。。
しかし、豊田先生の子供のころに刷り込ませるという
考え方は重要だと思ったわけなんですよね。。。
何を刷り込ませるのか?という問題になりますが、
そもそも今の学校教育の根本的な方向性は「ムダの排除」のようです。
実際に、学校に外から入ってみると、教科学習の優れているというか洗練にはビックリします。
企業のOJTなんてのでは、まるで太刀打ちできません。
文科省が設定する学習の単位は、一年間に35時間です。
1単位であれば35時間、2単位でも70時間。
これで、一つの教科を終えちゃうわけです。
月間労働が140時間だとすると、一ヶ月間で4つの教科を終えることが出来る。重要な教科でも2つは出来る。
これほどの濃密さで「教育」するのですから、そりゃ「ムダの排除」は当然でしょう。
しかし、これが今では受験技術そのものになっています。
そこで、子どもたちにネット利用について教育しようとするときに、この学校の「ムダなことは教える時間がない」という状況にそのまま対応すると、例えば「掲示板に書き込みしない」と言った教え方になるでしょう。
もちろん、すぐに「掲示板じゃないブログだ」「ブログじゃないプロフだ」となってしまって、イタチごっこで効果がない。
イジメはいけないと教えるのには、どうするのか?といったムダそのもののような教育が必要だとなるでしょう。
これらは学校教育の範疇ではないと思いますが、いまや親も社会も子どもたちを教育できないですね。
仕方ないから、学校で社会教育をする、という選択になると思います。
今の(今までの)学校が、人間関係などの学習は学校の外でやって、学校は学習だけの場にすることで、上記のような濃密な教育をやっていたわけですが、これが無理かもしれないとなると、文科省は携帯電話についてもっと明確な指針を打ち出すべきでしょう。
Posted by: 酔うぞ | 2008.06.08 13:28
とある高校でネットワークや情報関係を担当している教員です。現状ということで少々書かせていただきます。
教員の情報への意識が低いことや、高等学校校長協会から文部科学省に提出されている要望書、そして情報に詳しい教員(情報の教諭免許保有者等)の不採用、付け焼刃情報教員の情報教育への理解不足などがあり、学校の教育現場が情報関係の教育を行うのに相応しくない状態になっています。
そのような状況で、情報やセキュリティに詳しい教員はどのように扱われるかといえば、煙たい存在です。最低限のパスワード管理ですら聞いてもらうことは出来ません。教育委員会もなんとかしようと通達を出しては居ますが、そう簡単にはいきません。それでもなんとかパスワードを使うようにしても、お財布にユーザIDやパスワードをメモした紙をラミネートしてしまっています。
また、1台のPCを複数の教員が使うということで、同じユーザIDを使いまわしていたり、果てにはパスワードの設定もされていなかったり、ワクチンソフトは重くなるからといって勝手に外されていたりすることもあるようです(それらはサーバで管理する方向にしたので、本来はどこの学校でもそのようなことは出来ないはずなのですが)
まぁ他にも色々とあるわけですが、基本と言うべき点からもお粗末な状態です。
セキュリティに配慮したということで納品されたノートPCも、パスワード無しのパワーユーザのIDが登録されていたり、管理者権限を使うプログラムに関係したファイルが一般ユーザでも書き換え可能な状態で放置されているためやりたい放題だったり、サーバ内のファイルを誰でも書き換えが可能な状態になっていたりする状態でしたから、教員だけでなく納品する業者(名の知れた企業ですが)も駄目なもんです。
Posted by: さふ | 2008.06.10 16:38
酔うぞさん、コメントありがとうございます。。。
ネット社会との付き合い方を教えている学校がNHK?のニュースで紹介されていました。
何かひとつの方法で解決できるわけではないということを認識し、環境もかわっていくので適時に対応していくようにしていくしかないように思います。。。
さふさん、コメントありがとうございます。
学校の先生のリテラシーも合わせて改善していくことも重要ですよね。先生といえども完璧な人間ではないので、学ぶという側面も重要だと思いますね。。。
Posted by: 丸山満彦 | 2008.06.12 07:52
関係がどれほどあるのか判然としないのですが、
教育におけるネットの安全利用に関する実務が「???」な状況は
現在の小中高の教育の基本線が、
ネットの安全利用のために必要不可欠とされる
「人間は何をする者か?」という高級な理解を吹っ飛ばしてしまう
ところにあるのではないか?と思うようになりました。
パソコン通信時代に「世の中には色々な人がいるものだ」と感じたものですが、
世の中に色々な人が居て、自分の家庭環境とか職場や同年代といった
直接知っている人たちよりも、知らない世界の人の方が多いのに決まってます。
しかし、仮に知っていても「ビックリ」なのだし、
本当に知らなくて「そんな人はわたしの周りにはいません」
と喧嘩になったりします。
つまり、日常生活では知らない=普通は役に立たない、
知識や情報が、ネットワーク利用で顔を知らない人と接触するときには
必要になる、とも言えるのでしょう。
この「役に立たない知識の有用性」を学校では意図的に無視しています。
もちろん学校がではなくて、受験がなのですが。
受験のための勉強方法が、高度に「無駄を省く」になっていますから、
何事につけても「正しい使い方」「間違った使い方」といった二分論になりがちです。
しかしネット利用は相手が人なのだから、
常に「第三の使い方」が出てくるわけで、二分論では対抗できるわけがない。
そこで教えるという観点では「正しい使い方・間違った使い方を覚えてもダメだ」
とやるべきなのでしょうが、これは受験勉強にはモロに反対することになりそうです。
ひょっとすると、この受験勉強を頂点とする、
勉強のやり方にこそ、ネットの被害者が増える理由があるのかもしれません。
Posted by: 酔うぞ | 2008.06.12 09:12
酔うぞさん、コメントありがとうございます。
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受験勉強を頂点とする、勉強のやり方にこそ、ネットの被害者が増える理由があるのかもしれません。
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なるほどですね。。。昔から受験勉強の問題についてはいろいろと議論がされていますね。。。
教育の問題は社会とも当然つながっていますよね。。。社会が求める人材を大学は作ろうとするし、大学がほしい人材をとるために試験は考えられるし、その試験にうかるための勉強を子供はしようとするし。。。
カリキュラムがあるていど定型化されていて、数値化しやすく、納得感が高い科目の成績というのは、様々な局面で意思疎通のツールとして利用可能なのですが、そうではないマナーとか社会常識というのは難しいですよね。多くの場合、採用面接の局面でそういうことを判断されるのだろうと思います。それも比率はずっと低いでしょうね。。。だから、普段からマナーとか社会常識というのはできていなくてもそれほど大きな障害にはならないので、育たない・・・ということがあるのかもしれませんね。。。
Posted by: 丸山満彦 | 2008.06.15 08:14