« 第9回コンピュータ犯罪に関する白浜シンポジウム無事終了! | Main | 談合企業に学ぶ?情報漏えい対策 »

2005.05.22

監視社会? 監視カメラ設置増加

 こんにちは、丸山満彦です。今朝(2005.05.22)の朝日新聞5面に「幸せ大国をめざして⑧ 治安悪化 監視社会へ技術進む 個人情報流出の不安」という記事がありました。最近、監視カメラが売れているとか・・・

 
 カメラ監視により犯罪が減少したこと。安全な生活を守るためにカメラで監視をすることによりプライバシーが侵害される可能性があるという話。セキュリティvsプライバシーの構図ですね。
 また、最後に、ジャーナリストの斉藤貴男氏のコメントが紹介されています。
====
監視する側とされる側の二分化が進みかねない。むき出しの階層社会になっていくのではないか
====

 IT社会の監視というのは、ビックブラザー型の監視のみならず、市民の市民による監視市民によるビッグブラザーの監視も可能とするため、必ずしも監視する側とされる側の二分化が進むというのは正しくないと思います。ビックブラザー型監視とメッシュ型監視が合わさった状態になるのでしょうね・・・・

 監視する側とされる側の信頼の基礎がなければ、息苦しい世の中になりそうですね。監視の是非を問うよりも、監視する側とされる側の信頼の基礎をどのように築くかを考えるほうが前向きのような気がします。




このブログの中の意見は私見であり、所属・関係する組織の意見ではないことをご了承ください。

|

« 第9回コンピュータ犯罪に関する白浜シンポジウム無事終了! | Main | 談合企業に学ぶ?情報漏えい対策 »

Comments

丸山 様

夏井です。

監視している人間も一市民としては誰かに監視されているのでしょうから誰が監視者で誰が被監視者なのか分かり難い状況になっていますね。

むしろ,「監視」がなされていることを公示することをもって法的義務とし,その監視が適正に行われているかどうかを裁判所などの公正な第三者が監督するというのが正しいのでしょう。

これによって,「監視の公示」がなされ得ない「盗撮」や「盗聴」を違法なものとして排除する手がかりを得ることもできます。

これでご理解いただけたと存じますが,「監視」だけにこだわっていたのでは物事の本質が見えてきません。必要悪としての「監視」を排除することができない以上,その監視の事実を公示し,監督可能な状況の下に置くことが重要だと考えます。そして,監督不能な「監視」をすべて違法なものとし,そのような違法行為を実行した者に対しては死刑を含む厳罰をもって臨むというのが正しい政策論でしょう。

現時点では過激な夏井説としてしか受け止められないでしょうけど,最近,ずっと前からそう主張したかのように装いながら夏井説の数々の焼き直しをやって威張っている「偉い先生方」が目に付くので,数年もしないうちに上記に述べたスキームが自分の発案だとして威張ってくれる「偉い先生方」が出現する可能性が大だと期待しております。

Posted by: 夏井高人 | 2005.05.23 13:40

夏井先生、コメントありがとうございます。死刑を含む厳罰にすべきかどうかは別として、「監視の事実を公示し,監督可能な状況の下に置くことが重要だと考えます。」には、全面賛成です。

 私は、「監視する側とされる側の信頼の基礎」を築く必要があると考えるわけですが、そのためには情報開示が必要で、夏井先生が指摘している「監視の公示」というのが重要となります。

 夏井先生が以前から主張していた、「デジタル化されないでほうっておいてもらう権利」もかなり市民権を得てきたようなので、「監視の公示」もそのうち市民権を得てくるのでしょう。

Posted by: 丸山満彦 | 2005.05.23 16:24

丸山 様

夏井です。

「監視の公示」というアイデアは,個人情報保護のスキームを考える上でも重要ではないかと思っています。

事業者による個人情報の収集は,冷静に考えてみると,事業者による個人情報の本人に対する「監視」というカテゴリーに属する行為の一部を構成していることになりますね。ですから,目的の通知と事前の同意が本来的に必要になるのだと思います。日本国法は,「目的の通知」が「後出しジャンケン」でもOKになっている点や事前の同意を不要とする点において非常に不徹底であることになります。しかし,目的の通知・公表だけは義務付けられているので「監視の公示」の目的を一応達することができるでしょう。

公示を義務付けられた場合,監視しようとする側のコストが増大します。

しかし,そもそもコストを負担せず,かつ,監視される側の利益を奪ってまで監視を合法化するような法理は(捜査目的で捜査機関が実施するような例外的な場合を除き)存在しません。監視によるコストが利益を上回っていると判断するならば,潔く「監視」をやめてしまうべきでしょう。

かくして,監視する側と監視される側の利益のバランスを確保するための枠組みを準備することができます。

「監視の公示」は,21世紀における新たな人権の一つとしてとらえるべきもので,「デジタル情報化されない権利」がいわばプライバシーの実体面を強化するものとして理解可能であるとすれば,「監視の公示」はプライバシーの手続面を強化するものとして理解可能なものです。

このような理解は,自然界に存在する草や木の様々な「あり方」を見ている間に何となく思いついたものの一つなのですが,更に発展させてみたいと思っています。

Posted by: 夏井高人 | 2005.05.24 00:22

夏井先生、コメントありがとうございます。ある会社に行ったのですが、そこにも監視カメラが設置されていました。私のマンションにも監視カメラがあります。そこかしこの街角や道路にも監視カメラがあるのでしょう。

 監視社会という言葉に込められたニュアンスには、信頼できない組織によるプライバシーの侵害ということがあるのかもしれませんが、監視する側とされる側の信頼関係があれば、敵対的関係から協力関係へのシフトができます。結果的には社会の安定に役立つことができます。信頼官営を築くためには、情報の公開が必要となるでしょう。そのために、監視の公示というのは有益な手法だと思います。

今後の発展に期待です。

Posted by: 丸山満彦 | 2005.05.24 04:05

丸山 様

夏井です。

「監視」についてはいろんなイメージを各人が持ち,そのイメージを前提に議論しているわけなんですが,そのイメージがそれぞれ微妙にずれていたりするんで議論がかみ合わないことが少なくないんじゃないかという気もします。

「監視の公示」によって議論の対象が具体的に特定されることになりますので,これまでよりも噛みあいやすい状態で議論が可能になるのではないでしょうか?

それから,ちょっと別の切り口なのですが,守るべき「何か」があるから防御手段として「監視」が必要になってくることが多いですよね。もしかすると,守ろうとしている「何か」は放棄してしまっても良いものかもしれないです。
それが本当に守るべきものかどうか「棚卸し」みたいな作業をやってみると,監視の必要性も消滅または軽減され,結局,監視する側にとっても監視される側にとってもぢちらにとっても幸福な解決というものもあり得ると思います。

とかく日本人は全く不必要なものでも後生大事に抱えていることがあり,「抱えていること」によって人事評価が高まったりする奇妙な傾向もありますから,企業経営上で何が必要で何が必要でないかを経営者はきちんと考え,判断すべきなんでしょうね。
このことは,企業だけではなく,国や自治体でもそうだし,大学などの非営利法人でもそうだと思います。

Posted by: 夏井高人 | 2005.05.25 21:48

夏井先生、コメントありがとうございます。確かに、「監視の公示」により、何を誰が何のために行っているのかがわかるので、そもそもその監視が必要なのか、必要としてもどの程度必要なのかが、明確になるように議論が進むものと思います。よいアイデアですね。

 50年前と比べても環境変化が激しくなっているので、今までの慣習のすべてが今でも必要だとは限りません。もちろん、必要なものもあります。必要性についての見直しができない組織は、いずれ破綻していくのだと思いますね。

Posted by: 丸山満彦 | 2005.05.27 05:01

丸山 様

夏井です。

日本の組織の中には,単なる先例踏襲主義しか存在しておらず,前任者のやったことを引き継いでいくだけで何も考えていない者も珍しくないと思っています。

だから,不必要なリソースをそのまま抱えていることも珍しくなく,その結果,例えば,不必要な「監視」が継続されてしまうということも起きるのだろうと思います。

また,前年度予算シーリングのようなものも諸悪の根源になっている可能性がありますね。シーリングは一見良さそうな制度のようにも見えるのですが,予算執行状況を監査し次年度予算を決定する権限を有する者の先例踏襲を合理化するだけの方便かもしれないし,評価される側としても無駄な海外出張など納税者からすると激怒するしかないような税金の無駄遣い慣行を温存させてしまう非常に大きな原因の一つになっているかもしれません。

もしかすると,「予算」という制度それ自体を根本から考え直すべき時代に入ってるのかもしれません。おそらく,ビジネスの世界では,形式的な予算とは別に,比較的長期的な見通しの下での貸し借り勘定に基づいて資金の獲得・運用と利益分配がなされているのではないかと思います。形式的な単位年度予算に縛らなければならないという必然性は,理論的にも実質的にも相当希薄になってしまっているのではないでしょうか?

ともあれ,マネジメントシステムの世界ではPDCAサイクルによる自己点検と評価が基本とされておりながら,実際の業務では何ら見直しもレビューもなく,単に先例踏襲だけ繰り返しているというのはどうしても解せないわけですよ。

Posted by: 夏井高人 | 2005.05.27 06:43

夏井先生、コメントありがとうございます。単年度予算制度の中で仕事をしている人のほうが単年度予算制度の矛盾をより感じているのだと思います(政府の職員も含めて・・・)。でも、直らない。
 成果を評価することが難しく、失敗が目に付く環境では、どうしても前例主義がはびこりますね。
 このあたりは、人間の限界なのかもしれませんが、なんとかしなければと思いますね・・・

Posted by: 丸山満彦 | 2005.05.27 10:27

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 監視社会? 監視カメラ設置増加:

« 第9回コンピュータ犯罪に関する白浜シンポジウム無事終了! | Main | 談合企業に学ぶ?情報漏えい対策 »