評価基準の健全性は何によって担保されているか
こんにちは、丸山満彦です。夏井先生から質問がありましたので、お答えします。
【Q】評価基準の健全性は何によって担保されているか
【A】「歴史」によって担保されています。
多分、公認会計士であれば誰でも同じ回答をすると思います。会計監査における評価基準は会計基準になります。監査報告書を読んでみるとわかりますが、証券取引法に基づく有価証券報告書の監査報告書には
「一般に公正妥当と認められる企業会計の基準に準拠して」
という一文が入っています。
「一般に公正妥当と認められる」会計基準に準拠しているかどうかを評価しているというのがポイントです。一般に公正妥当と認められるためには、企業会計に関わる企業、株主、投資家、監査人、行政機関がそれぞれの利害のバランスをとるためにはどのような会計基準であるべきかを検討し、利用していく中で培われていかなくてはなりません。このような歴史の中で、利害関係者の利害を調整する目的にもっとも適切な評価基準が定まっていくのだと思います。
さて、評価基準が良いものであっても、評価者に能力がなければ結果が間違ってしまいます。そこで次に評価者の能力をどのようにして担保するのか、ということになります。会計監査の場合は、どの国でも国家資格によって厳格に能力を担保しています。能力というのは、会計、監査についての知識があり、実務に精通しているのみならず、高度な人格が要求されます。司法試験ほどではないですが、公認会計士試験はやはりそれなりに難しい試験です。また、試験に受かってからも常に専門家として継続的な自己研鑽が要求されます。このような、監査人の能力や行為を規範するために、監査基準が存在します。しかも、この監査基準も歴史の中で培われていくものです。監査報告書には、
「一般に公正妥当と認められる監査の基準に準拠して監査を行った。」
という一文が入っています。
エンロン、ワールドコムといった事件など社会的に批判を浴びたわけですが、そのような社会的な批判を受けながらよりよい第三者評価のあり方を試行錯誤していく過程で第三者評価制度の健全性が担保されることになります。
単に、政府が作った基準だから、ISOやJISが作った基準だからというだけで、その評価基準を教条的に信頼して利用するのは無邪気だなぁ・・・と思います。また、そのような評価制度を何も考えずに教条的に信じるのも問題ですよね・・・。「評価する人の能力はどのようにして担保されているのだろうか。」そういうこともちゃんと理解することが必要ですね。
もちろん何もないよりもましなのでしょうが、それだけで満足しているようではダメでしょう。まして、専門家と言われる人であれば、現在の評価基準や評価制度の限界を利用者に適切に説明できることが当然求められるはずです。
利用者は、今、自分が投資なり、取引をする相手にふさわしいかを決める場合に、その評価基準が目的にあっているのか、ということを自分で考えることが非常に重要です。マーク制度やシール制度といった第三者認証制度は、このような思考をとめてしまうと言う意味でわかりやすいというメリットはあるのですが、考えない困った人達を生み出してしまうという社会的なデメリットもあることを認識すべきですね。
日本で第三者評価制度がはやるのは、自ら考えるということを放棄している結果のような気がします。
このブログの中の意見は私見であり、所属・関係する組織の意見ではないことをご了承ください。
Comments
丸山 様
こんばんは♪
季節はずれの豪雪の中から無事に生還してまいりました。
会計監査(特に企業会計の監査)については,広く承認されている評価基準もあるので,一応の信頼性も確保されていると思うし,比較的安心して評価を信じることのできる分野ですね。
でも,ご指摘のとおり評価者に適切な能力が備わっていなかったり,誰かに買収されてしまっていたりするような場合には,当然,正しい評価結果が出ませんね。
どんなに第三者評価の手法が細かくなっても,最終的には自分の頭でよく考えないと駄目だという点のご指摘も全くそのとおりだと思います。
Posted by: 夏井高人 | 2005.03.25 20:57