デジタル画像の証拠能力
こんにちは。トーマツの丸山です。奥村弁護士のブログに「デジタル画像の証拠能力」がアップされています。
奥村先生曰く、
銀塩カメラの場合は、現像過程において、作為が入りこむ余地が少ないという判例がありますが、
デジタルの場合は、必ずしもそうは言えないし、判例がない状態です。
そういえば捜査報告書の写真は、いまだに、銀塩が多いですね。
動画も含めてデジタル画像が増えてくると、作為が入り込む余地が少ない、入り込んでもそれがわかる(検知できる)「仕組み」を作っておくことが必要となりますね。頭の痛い問題ですね。
そういえば、デジタル・フォレンジック研究会のワークショップが12月20日、21日に開催されます。奥村先生の疑問に応えられるか???
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参考
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・@ポリス コンピュータ・フォレンジック(佐々木先生)
・@ポリス デジタル・フォレンジック(佐々木先生)
・ネット時評 高橋弁護士
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Comments
丸山 様
夏井です。
デジタルフォレンジックのシンポジウムで高橋先生が特に強調しておりましたが,今後,米国その他諸外国の警察と連携してサイバー犯罪の捜査を実施しなければならない事態が多く発生するかもしれないことを想定すると,証拠法則に関するこれまでの最高裁の判例は大幅に改められなければならないことになるだろうと考えられます。
日本では,刑事訴訟における証拠法則の適用について,ほとんど何もルールがないのに等しいくらいルーズになっていますし,そのことを裁判官も全く恥じていないという悲しい状況にあります。
しかし,そのような甘い慣行のままに警察が「ぬるい証拠確保」を継続していると,例えば犯罪人引渡しや証拠上の共助の要請に従い収集して依頼国の警察に提供した物件が証拠としては許容されないと判断されてしまう危険性が高いです。
現時点では,警察は,日本の裁判所からはそのレベルの厳しさが求められないとしてもそれでもなお,米国の証拠規則と同じレベルでの高度な厳しさで証拠を取り扱い,証拠の許容性を確保し,証拠評価の際の証拠としての重さを無用に軽くしないようにするための努力を重ねるべきだろうと思います。
その場合には,高橋先生も指摘されていたように,証拠の関連性,物証の継続性(chain of custody)のルールをきちんと理解し,捜査実務の中に完全に定着させることなどが含まれると思います。
また,computer forensicsの観点からも,情報セキュリティの担当者は,物証の継続性のルールの意味と重要性をきちんと理解しながら電子的な証拠を確保し,保存する手順を考えるべきだろうと思います。
以上のような観点から考えた場合,デジタル写真については,通常,「物証の継続性」が何も証明できない場合が多いのではないかと思われるので,理論的には,証拠価値(証拠力)としては相当劣るものだと認めざるを得ませんね。ただし,裁判所がそのことをきちんと認識・理解してくれるかどうかは,かなり疑問です。
Posted by: 夏井高人 | 2004.12.28 21:08
夏井先生、コメントありがとうございます。これは、非常に重要な問題ですね。
いろいろと考えていたのですが、私の中でまだまだこの分野の情報と理解が不足しているので、勉強開始をします。もう少し、理解ができてから回答を考えます。
ただ、私が気になる点は、法とコンピュータ学会、情報ネットワーク法学会、デジタルフォレンジック研究会や、各種セミナーに、裁判官、検察、警察の方の出席が少ないことです。まぁ、それでも、警察の方には時々あいますが・・・担当者に対しては組織内で専門教育を行っているのだと思いますが、裁判官や検察の知識不足・理解不足が著しいと、司法制度全体が揺るぎませんかね・・・。実は、会計士の分野でも同じですが・・・
Posted by: 丸山満彦 | 2004.12.29 12:38
丸山 様
夏井です。
実は,裁判官や弁護士や検察官としての実務経験の乏しい刑事訴訟法学者は何も分かっていない場合があり得ます。もちろん,勉強熱心でない裁判官や弁護士や検察官も,本当は,何も分かっていないということもあるでしょう。
私の経験だけを前提にする限り,裁判官の中でもきちんと勉強を重ね,理論構築できるだけの能力を持った人がいます。でも,そうした優れた人材は,実際には数少ないかもしれません。
他方で,警察官や検察官の中にもかなり勉強している人がいますが,それが実務の中で活かされていない。それは,捜査活動や警察活動に箍をはめ制限してしまうようなプラクティスは好ましくないと思われてきたからかもしれません。
つまり,日本の状況は,かなり悲惨です。
そのような悲惨な状況にあるため,法学者は技術者に対して正しく法のルールを伝達することができないでいます。だから,技術者も自己流でものごとを考えるしかないということを強いられています。しかも,多くの場合,その理解が間違っています。ですが,法律専門家ではない彼らを責めるだけでは,何の解決にもなりません。
他方で,詐欺的なシンクタンクやコンサルタントだけが暴利をむさぼり,まともな学問と学者がますます衰退していくという嘆かわしい状況もないわけではないです。
しかし,現代の世界の状況は,そんなことを続けることを許さないようになってきています。もしかすると,すでにタイムリミットが来ている問題がたくさん存在しているかもしれない。どの問題が一番重要かの判断は難しいですが,国会議員にも政府担当者にもぜんぜん分かってもらえない課題(解決されるべき問題)がかなりたくさん存在していることは,事実だと思います。
このblogの文脈では,法律家と技術者との真の意味での共同作業を実現することも喫緊の課題の一つです。
しかし,それを実現するには,それなりの国家的な支援も必要ですね。
何だかんだ言っても,予算と法による支援なしには何もできません。
そうした支援の中には,裁判官や検察官に対し,学術研究や海外の法制や実務についての比較法的な研究を奨励し,学会などへの参加を容易にし,その結果を個人名で公表することを容易にするというタイプの支援も含まれるでしょう。日本では,たいして勉強もしていないのに妙なプライドをもった裁判官や検察官が存在することも偽らざる事実ですが,そうでないまともな人もたくさんいることも事実です。そうした人々が自由に議論したり意見交換したり学術研究したりできる環境造りが大事ですね。
他にもいろいろありますが差し支えがあるのでblogでは書けません。
為政者たる者は,そこらへんのこともしっかりと考えてほしいです。
Posted by: 夏井高人 | 2004.12.29 13:21
夏井先生、ありがとうございます。裁判官が学会等で発表することについてのマイナスも考えられますが、社会全体へのメリットも考えていく必要がありますね。憲法で謳われている三権のうち、司法はいまいち光があたっていないような気がします。もっとも、最近は司法制度改革がいわれていますが、社会全体からみるともっと光があたるべきですね。さらに開かれた司法が実現できると良いですね。
裁判官、検察官の皆様、学会で是非とも意見を言っていただきたいです。
Posted by: 丸山満彦 | 2004.12.30 01:59
丸山 様
夏井です。
少し違う論点なんですが,Winny正犯事件の判決に関して,小倉先生がblogに批評を書いておられますね。
http://benli.cocolog-nifty.com/benli/2004/12/post_15.html
この批評は,基本的に正しいと思います。
裁判官は,裁判所の中だけに閉じこもっていないで,広い世間を知らないといけないと思います。これは,「一般常識がない」などという俗説のことを言っているのではなく,「自分の知らないことは知らない」という(私を含め)誰にでも当てはまる当然のルールが一番正しいということを理解していただくには,そうするしかないという趣旨です。
「唯我独尊」を宣言する資格があるのはお釈迦さんだけであり,普通の人間が唯我独尊になってはいけないですね。
Posted by: 夏井高人 | 2004.12.30 10:09